岩屋軍記を読む前に
筑紫中心「戦国時代年表」
1433年(永享5年)
少弍満貞を打ち破り
大内持直筑前国平定を幕府に注進、その後、大友家とのせめぎ合い少弐とのせめぎ合いとなるがこれからは、大方、大内氏の支配下となるようである。
1535年(天文4年)
大内氏と大友氏が和睦
1552年(天文21年)
大友宗麟、橋紹運を宝満城主とする。
1555年(弘治年中)
川中島の合戦
1560年:織田信長今川義元の桶狭間の戦
1573年(天正年中)
信長、安土城に移る。
天正1年7月18日室町幕府滅亡
1678年(天正6年12月1日)
立花道雪・橋紹運、立花・宝満・岩屋に籠城する。
このころ、大友氏、日向耳川で島津義久に大敗
このころ、龍造寺隆、信肥前国を統一
1578年(天正6年秋)
秋月種実勢4千人と問注所治部少輔一千人が天山の柴田川で戦う。
1579年(天正7年4月18日
秋月種実と橋紹運が二日市で戦う。
1582年(天正10年6月2日)
本能寺の変、織田信長倒る。
1583年(天正11年3月7日)
筑紫方の茶売り、岩屋城内にたまご火を仕掛け、帆足弾正の武蔵城に逃げ込む。岩屋城内の家は残らず焼け落ち、筑紫衆は観世音寺辺まで寄せるが、宝満衆が駆けつけたので引き取る。
1586年(天正14年7月27日)
島津勢の攻勢により岩屋城が落城、小寺官兵衛(黒田如水)の家臣久野四兵衛、筑紫(廣門)・原田(信種)らに降伏を勧める。
1587年(天正15年4月4日)
秋月種実、茶器楢柴をささげて秀吉に降伏する。これより、秋月・筑紫・原田らは、立花統虎に手を焼く。立花は薩摩攻めの先手を勤める。
二日市市場が、秀吉により天満宮領から開放され、楽市となる
天正15年6月
秀吉、島津を降して博多入り